適当なタイトルですが、情報量が多く、どう進めていいかわからないので。仮題です(笑)
離婚協議中、まだ葛藤が激しかったころのこと。
子供のためのサポート
自助グループ:
Kは、離婚中・離婚後の両親を持つ子供たちの自助グループに行っていました。8回のセッションで、子供たちは10人ほどだったと思います。専門のセラピストが二人ついて、セッション中に扱った内容は、両親には内緒。という黄金の鉄則がありました。子供たちの世界を護るためです。子供たちの親への忠誠心は計り知れないほど強く、親とセッションの内容を共有することにリスクがあるようです。
ひとつだけ覚えているのは、お迎えにいくと、Kはとても晴れ晴れとした顔をしてセッションから出てくることでした。内容は教えてくれないながらも、セラピストはKの様子は個人的に伝えてくれていました。Kは積極的にグループで「話したい」という欲求や、そのためのイニシアティブをとることはなく、もくもくと一人遊びに熱中しているように見える。が、周りの(積極的に話したい)子供たちが話している内容には、熱心に耳を傾けているようで、ふとした瞬間にぱっと顔をあげて、発言する。ということでした。
どういうセッション内容だったかを直接知らなくても、Kが、同じような状況で頑張っている仲間たちと時間を共有できただけでも、大きなエンパワメントとなったことだと信じています。あの晴れ晴れとした顔が、それを物語っているはずです。
学校、先生:
学校や担任のみなさんにも事情を親から話しておくことは、とても大切なことです。子供にやらせることでは、ないです。子供は、離婚のことを思うだけでも、大きなストレスなのに、それを、言葉で表現させるのは、かわいそう。お友達ひとりひとりまで親がコンタクトできるわけではないけれど、先生のレベルまでお伝えできていると、あとはとてもサポートをしてもらえます。
実は、離婚協議中、まだ二人の間で葛藤が大きく、Kは学校でも、たくさんの問題行動を起こしていました。注意散漫。それで、集中していなくて、先生からお小言をいただく場合、最後のところしか聞いていなくて、怒られている文脈がわからなくて、かっとなって、教室、さらには学校を飛び出してしまうことが数回ありました。問題児です。汗を流しながら、Kはうちに帰ってきていませんか、と戸惑う先生を、何度も玄関でお迎えすることがあったのです。(当時私も健康を害していたので、仕事も休んでいました)その都度、申し訳ありませんと謝りながら、子供の学校での様子を大変注意してみていただき、ご連絡をいただくことができました。
あの時のことを思い返すにつけ、
Kがどれだけの悲しみや怒りをひとりで抱え込んでいたのだろう。
学校を飛び出して走りながら、彼はどういうことを考えていただんだろう。
考えるだけで、あの時のKを抱きしめてあげたくなります。ひとりにさせてしまった。ごめんね。K。
担任だけでなく、エスカレートして、コーディネーター(下級生、上級生で、まとめる役職があります)を通して、市から派遣で子供療法士も一緒にかかわってもらい、ものすごいサポートをいただいきました。
さらにもう一歩エスカレートした問題行動に走ったKです。内容は悲しいので書きません。これが中学生だったら、警察がきていたレベルとだけは書いておきます。
そのときも、子供を非行児扱いせず、学校、子供療法士、心理療法士、ソーシャルワーカー、ユースケア(日本語何ですか?)、などのインターディシプリナリーなチームでミーティングを持って下さり(もちろん両親も参加)、今後の方針を決めました。
そして、クラスのみんな。
数日間のサスペンション(罰として、学校に来てはいけない期間)が終わりましたが、問題行動の衝撃の大きさに、もうまっすぐ顔をあげて学校の前さえ通れない。こんな気持ちのKでしたが、クラスから電話がかかってきたのです。クラスのみんなからです。「K。きいて。ぼくたちはKがほんとはどんな子かよく知っている。やったことはうまくなかったけど、ぼくたちは気にしないよ。Kがいないとさみしいよ。ぼくたちが待ってるから、早く学校にきてちょうだい。」Kは、涙を流してじっと聞いていました。翌日、勇気を出して登校したKです。学校でのことはあまり話してくれなかったけれど、きらきらした目で帰宅してきました。その顔を見れば、クラスのみんながどんなにKを温かく迎えてくれたのか、よくわかったので、それ以上は問わずに、ぎゅっと抱きしめました。担任の先生が、クラスの子供たちといっしょに、Kの起こした行動に関して、オープンなディスカッションをして、このような電話と手紙をすることに決めたようでした。
これらの恩を忘れるわけにはいきません。
どうやって返したらいいかはわからないけれど、だれかが以前いっていただいた言葉をいつも思い出します。
「受けた恩は受けたひとに返すものではなく、回していくものです」