両親の離婚を経験する子供たちも、大事なひとと死別するようなレベルでの「喪失」を体験するかもしれません。 否定・怒り・憂鬱・需要 離婚する自分だって大変な思いしてるんだよ……って私も手一杯、できない!と思っていました。もちろん、親たち自身だって大変な喪失の過程を経験する。けれど、寄り添うべきは子供たちです。自分でできないなら、専門家の助けを借りてでも。 クリスマス、キャンドルナイトという催し物があって、教会でフードマーケットや、手作り品の市場やら、子供たち用の展示やらを楽しんでいるときでした。 Kは離婚協議中、8歳。何やら、子供のコーナーから出てこないなあと思ったので、そっと、後ろからのぞいていました。 マリアさまの前で子供たちが願い事を書く場所が設置されており、なにかKがしたためているのですね。 Kがその短冊?を壁に貼り終わり、ほかの催し物に気をとられているすきに、勝手に読んでしまいました(ごめんね、K) つたないひらがなで書いてあった… 「ぼくのねがいは ぱぱとまま またいっしょにいけること」 涙が滝のように出てきそうなのを抑えるのに苦労。 明確に離婚を伝えたつもりだったけれど…… (これはまだ初期の否定フェーズだったのかな) 神様にお願いしているなんて…… また書きます。
Month: July 2021
ワクチン接種二回目
昨日午後、二回目のワクチン注射でした。すでに昨夜から具合が悪い。速攻でした。 今週は幸い、Kはパパのうちなので、安心です。昨日は夕ご飯なんて作れる状態でなかった。しかも、こんなこともあるだろうと、わたしは昨日からパートナーの家にお邪魔しているので、すっかり面倒みてもらっており、ありがたいです。 ま、このようにして、夏休みの数日がつぶれるのは悲しいですが、仕方ないですね。逆に、思いっきり週の半ばとかで仕事に影響が出まくるよりは、いいかも。 というわけで、夏休みをラウンドアップ中。
葛藤時の支え 組織編 大人編 1
しょうもないタイトルだなあ。まあしばらく許してください。 大人に関しては、悲しいことに、親の両方に改善の意思がなければ、どんなに政府が力添えをくれてもどうしようもないでしょう。大人なんだから、大人な対応をしようよ! 子供のために。 子供が受ける離婚の(葛藤の)長期的な影響を考えれば、くだらない葛藤はなるべく早く乗り越えて、お互いが隣同士に座って歓談さえできるくらいのレベルに持って行ったほうがいい。そう思います。が、人間ですからね…… ですが、大人は、子供たちが喧嘩しているときには、こういう感じで諭すでしょう。 さあ、もういいでしょう。仲直りなさいよ。さあ、さっきはごめん、って早くいっておしまいなさい。さあ、二人ともこっちにきて、おやつを半分こなさい。さあ、お互いの目をしっかり見て。 大人が喧嘩すると、やらないですよね。これ。子供にお説教なんてできない、目も当てられないレベル多くないですか。もう、顔も見たくない。もう、考えるだけでも嫌。私もそうでした。 子供の喧嘩のほうが、すぐに仲良くなって、いかに潔くて。なんとオトナなことか! 逆説的で笑えますが。 離婚自体にもインパクトはあるのですが、研究によれば、離婚後の両親のお互いに対する態度が、子供への長期的な影響を決定するそうです。お互いがリスペクトを持って接するようになってから、なんとたったの二年で、子供の身体的・精神的な健康度は、離婚のない両親の子供と、変わらないレベルに戻るそうです。なんというレジリアンス。素晴らしくないですか? この研究は、まだ自分で入手してないので、今度入手して読みたいと思っています。 子供たちへの影響、子供たちの苦悩を考えると、自分たちの苦々しい気持ちとか、もう超越できるはずです。その都度、歯を食いしばりながら。 そう思える両親であれば、サポートしてくれる組織がたくさんありました。 親のためのコミュニケーションの全12回の講習会もその一つでした。二人で参加しました。残念ながら、ここでも、一人の親が「もうやめる!」といった場合は仕方がなく、二人とも退場となりました。 講習で叩き込まれたのは、先に書いた、「子供のことを最初に考えて歯を食いしばる」能力でした。人間なんで、葛藤中なんで、ムカッときたりするのは当たり前。そういう気持ちをいかに自分の中で丸め込んでいけるか。 講習は夜19時からで、親が講習中、子供たちも、別の部屋でちょっとしたセッションを受けていました。両親の離婚と向き合うセッションばかりではなく、一緒にデザートを作るようなこともやっていました。 親たちのグループと、子供たちのグループとで、最終のセッションである、作品の発表会に向けて作りこんでいくような積み上げになっていました。 親の最終作品のテーマは、自分の子供(たち)に向けて、これからどうなっていくか、親としてどんな風に子供たちと生きていくのか、メッセージを送るという感じでした。 わたしは器用で絵も描けるので、紙芝居を作りました。ストーリーは、パパとママがマントをつけたスーパーヒーローで、Kが二人とも大好きで、Kのために、それぞれ活躍し、ちからを合わせて頑張っている、というもの。もう二人はパートナーではないけれど、Kが大好きでKを守るために頑張っているので、三人でチームなんだよ、というメッセージ性を持たせるために、三人の頭文字をとって、チーム名とし、また、このチーム名が、紙芝居のタイトルでもありました。ひとこま、ママヒーローが、Kが落ちそうになっている大きな穴に橋となり、踏まれて痛い!けどKが助かって嬉しい!という自虐シーンがあったんだけど、子供たちがゲラゲラ笑ってくれて、本望でした。 書きながら、いろいろなことを、思い出しています。
葛藤時の支え 組織編 子供編 1
適当なタイトルですが、情報量が多く、どう進めていいかわからないので。仮題です(笑) 離婚協議中、まだ葛藤が激しかったころのこと。 子供のためのサポート 自助グループ:Kは、離婚中・離婚後の両親を持つ子供たちの自助グループに行っていました。8回のセッションで、子供たちは10人ほどだったと思います。専門のセラピストが二人ついて、セッション中に扱った内容は、両親には内緒。という黄金の鉄則がありました。子供たちの世界を護るためです。子供たちの親への忠誠心は計り知れないほど強く、親とセッションの内容を共有することにリスクがあるようです。ひとつだけ覚えているのは、お迎えにいくと、Kはとても晴れ晴れとした顔をしてセッションから出てくることでした。内容は教えてくれないながらも、セラピストはKの様子は個人的に伝えてくれていました。Kは積極的にグループで「話したい」という欲求や、そのためのイニシアティブをとることはなく、もくもくと一人遊びに熱中しているように見える。が、周りの(積極的に話したい)子供たちが話している内容には、熱心に耳を傾けているようで、ふとした瞬間にぱっと顔をあげて、発言する。ということでした。どういうセッション内容だったかを直接知らなくても、Kが、同じような状況で頑張っている仲間たちと時間を共有できただけでも、大きなエンパワメントとなったことだと信じています。あの晴れ晴れとした顔が、それを物語っているはずです。 学校、先生:学校や担任のみなさんにも事情を親から話しておくことは、とても大切なことです。子供にやらせることでは、ないです。子供は、離婚のことを思うだけでも、大きなストレスなのに、それを、言葉で表現させるのは、かわいそう。お友達ひとりひとりまで親がコンタクトできるわけではないけれど、先生のレベルまでお伝えできていると、あとはとてもサポートをしてもらえます。実は、離婚協議中、まだ二人の間で葛藤が大きく、Kは学校でも、たくさんの問題行動を起こしていました。注意散漫。それで、集中していなくて、先生からお小言をいただく場合、最後のところしか聞いていなくて、怒られている文脈がわからなくて、かっとなって、教室、さらには学校を飛び出してしまうことが数回ありました。問題児です。汗を流しながら、Kはうちに帰ってきていませんか、と戸惑う先生を、何度も玄関でお迎えすることがあったのです。(当時私も健康を害していたので、仕事も休んでいました)その都度、申し訳ありませんと謝りながら、子供の学校での様子を大変注意してみていただき、ご連絡をいただくことができました。あの時のことを思い返すにつけ、 Kがどれだけの悲しみや怒りをひとりで抱え込んでいたのだろう。学校を飛び出して走りながら、彼はどういうことを考えていただんだろう。 考えるだけで、あの時のKを抱きしめてあげたくなります。ひとりにさせてしまった。ごめんね。K。 担任だけでなく、エスカレートして、コーディネーター(下級生、上級生で、まとめる役職があります)を通して、市から派遣で子供療法士も一緒にかかわってもらい、ものすごいサポートをいただいきました。 さらにもう一歩エスカレートした問題行動に走ったKです。内容は悲しいので書きません。これが中学生だったら、警察がきていたレベルとだけは書いておきます。 そのときも、子供を非行児扱いせず、学校、子供療法士、心理療法士、ソーシャルワーカー、ユースケア(日本語何ですか?)、などのインターディシプリナリーなチームでミーティングを持って下さり(もちろん両親も参加)、今後の方針を決めました。 そして、クラスのみんな。数日間のサスペンション(罰として、学校に来てはいけない期間)が終わりましたが、問題行動の衝撃の大きさに、もうまっすぐ顔をあげて学校の前さえ通れない。こんな気持ちのKでしたが、クラスから電話がかかってきたのです。クラスのみんなからです。「K。きいて。ぼくたちはKがほんとはどんな子かよく知っている。やったことはうまくなかったけど、ぼくたちは気にしないよ。Kがいないとさみしいよ。ぼくたちが待ってるから、早く学校にきてちょうだい。」Kは、涙を流してじっと聞いていました。翌日、勇気を出して登校したKです。学校でのことはあまり話してくれなかったけれど、きらきらした目で帰宅してきました。その顔を見れば、クラスのみんながどんなにKを温かく迎えてくれたのか、よくわかったので、それ以上は問わずに、ぎゅっと抱きしめました。担任の先生が、クラスの子供たちといっしょに、Kの起こした行動に関して、オープンなディスカッションをして、このような電話と手紙をすることに決めたようでした。 これらの恩を忘れるわけにはいきません。 どうやって返したらいいかはわからないけれど、だれかが以前いっていただいた言葉をいつも思い出します。「受けた恩は受けたひとに返すものではなく、回していくものです」
来たよ夏休み。(第二弾)
実は第一弾にはちょっとした落ちがあったのですが、息子はあまり、ママとの活動を楽しんでいなかったようなのでした。週の終わりに、ちょっと会話して、フィードバックをもらってわかりました。本当は、友達と約束して泳ぎに行ったりするのがよかったんだけど。 ま、来年はそうしましょう。 息子がパパ宅に移動してから、私はパートナーと二人で、ちょっと足を延ばした(とはいっても、現在のコロナ事情を鑑みて、国内ですが)二泊の旅行に出かけました。息子なしだと大人の活動を心置きなく楽しめるものです。やはり、子供が楽しいアトラクションに大人が合わせて行動するということがあるものですから。気を使うものです。 この旅行、充分にはねを伸ばすことができました。お目当ての展覧会も観られたし、行きたかった場所での自然散策もできたし。街で楽しいショッピングもできました。おいしいワインを飲んでとても満足しました。やっぱりこういう活動はパートナーと二人だとダブルで楽しいです。もうこうなったら積極的にこういう機会を増やそうと思います。 実は、ちょっと落ち込んでいたんですね。先の第一弾の一週間で、あんだけベストは尽くしたけれど、息子があまり楽しんでなかったという事実に。いろいろ計算外だったこの夏休みです。元気になるのに、ちょっと時間がかかりました。仕方なかったですね。ティーンズに関する読みが浅すぎた私もわるかったです。 残念ながら、わたしのワクチン注射第二回目がこの金曜日午後となっており、週末は具合が悪くなるかもわからないため、月曜から木曜までの予定で、休暇の予定に入れることができず。まるまる一週間自分の夏休みだ!とはならなかったのですが、まあ、また、次回。 まとめ: ティーンはこれから放っておこうと思います。今後の休暇は大人活動オンリー、自分本位でいきます。ただし、日本への一時帰国以外。息子は日本だったら行きたがるだろうから。
来たよ夏休み。(第一弾)
とうとう来ちゃった夏休み。というわけで、二週間いただいたお休みの半分が過ぎました。 離婚前は、元旦那さんがいろいろ考えてオーガナイズしてくれていた。離婚後は、自分でいろいろ考えてブッキングも、ロジスティクスも、考えていかないといけない。いろいろなオプションを検討して、お出かけプラン、宿泊のオプション、息子の嗜好もかんがみつつ。意外と、めんどくさい。しかも、行ったことない場所、駐車場予約したり、いろいろドキドキすることも多いです。離婚後、元旦那さんが、どんなに頑張っていてくれていたか、どんなに私のことを思ってくれていたか、こういう細かい瞬間に感謝の気持ちをいだくことがあります。 私は離婚前は、車を運転することを好みませんでしたが、職場からやんわり希望されたことが大きな要因で、車を購入し運転するようになりました。なんで車を運転しなかったというと、しなくても良かったから。元旦那さんがどこでも連れていってくれたし、必要がなかったから。自分は時間をかけてでも公共交通機関を使いました。 こういうのって、自分では苦労しない、いわゆる「フリーライダー」。しかも、感謝の言葉もなかった。当然、という態度。恩義のかけらもない。離婚したあとでは、申し訳なかったなあ、と思います。恥ずかしいくらいです。それでも元旦那さんは、喜んで運転してくれていた。いろんなところに連れて行ってくれた。愛してくれていたんだなあと、運転中に、じっとありがたさを感じることがあります。 離婚して、子供と一緒のお休み。いろいろ工夫(苦労?)してここ数年やってきましたが…… ついにきた。もうどこに行っても、ママとじゃつまらないお年頃。ママが楽しいこと(自然散策とかキャンプとか)は、ティーンにはたまらく退屈な活動。 今年が、最後だね。今回が最後、との覚悟で、もうこの一週間、べったりと楽しみました。いろいろ行きましたよ。朝いちでお客がいないうちに、オランウータンのところに駆けつけたこと。なんとも優しいオランウータンの子供がいて、Kと檻越しに遊んでくれました。これはとても心に残ったみたい。サファリにも行きました。考古学博物館。映画も一緒に見たし、ランチと称して、ご希望だった大盛りのパフェをごちそうしてあげたり。 来年からは、Kとの夏休みの時間はとらず、普通に仕事しようと思います。息子は、友人と出かけるのが一番みたいだから。それに、もしかしたら来年はもう、夏はずっとアルバイトに明け暮れるかもしれないよね。 で、私が会社から夏休みをいただくなら、Kがパパのうちに行っている間、彼氏か友人かで、大人で過ごすようにします。今年、元旦那さんが、そういう道を選んだようにして。交代で息子の面倒を見て、ほんとうに自分のためのお休みをいただくようになるでしょう。 子供時代が一区切り終わった感じ。ちょっとしんみりしつつ、成長が誇らしいママでした。 まとめ:子供が親との夏休みをあまり楽しまなくなったら、そういうお年頃なのかもしれない。今年は、パパは、一週間ちょっとママにKをお願いして、その間、彼女さんと水入らずで休暇旅行へ。私はこの間、Kといろいろお出かけしましたが、Kも付き合ってやっているという感じでした。来年からは、ママも、パパが今年そうしたように、とくにKと一緒にお出かけするために休暇を取ることはしないでしょう。パパとママと、交代で、大人の休暇に出かけるようになりそうです。Kはどうするかな、来年。お友達と泳いだり、アルバイトをしたりするのかな。
夏休みの相談
引き続きまだ決定が必要だった夏休みの行ったり来たり。とりあえず決定を見た。 結局元旦那さん、彼女さんとだけの一週間オーストリア入りということで決定。Kには楽しいことないからママ宅でお願いできない?という相談。それが、もともとパパ週でした。 で、八月第二週も、彼の趣味兼副業で一週間ママ週がエキストラに入っており。ママは嬉しいけどさ。 六週間ある夏休みのうち、五週間ママのうちって、パパにほとんど会えない。Kはどう思うかね? という問いかけを返しておいた。 そうしたら、まあ、オーストリアの後の一週間はパパのうちに移動ということに。当然だろ。よく考えろ。 気まずそうに「八月中旬以降は何もないからさ……二人でなにかしたかったらいつでもうちでいいからさ…」 ま、お互いさまだからさ。気にしないどいてください。今回、「ちょーっとまったー!」を返したのは、Kがパパとも一緒にいたいでしょ?ということだけだったから。 どうなることか、夏休み。 オランウータン以外には、ピンボール博物館という希望も、入ってきました。 まとめ:新しいパートナーと一緒に居る時間も必要だろうが子供と一緒の時間を優先しようよ。
最初ママに教えに来てくれた(嬉しい)
在宅ワークの火曜日でした。今日はテスト週間最終日、ドイツ語一科目。 学校終わってすぐ、ママのうちに来るからって電話が。お?どした?忘れ物?「いいニュースがあるの!」というので。 顔を見るなり:「数学満点だったよ!」 感激。ていうか、えっ、満点って、とれるの?! 抱き合って喜びました。過去三週間、日々一緒に問題解いてきたからなあ。数学の時間が一番、楽しかったな。 うちでくつろいでから(まいっか、テスト終わったしね)夕食前にパパ宅に向かう息子。 「パパにもいいニュースすぐ伝えなね」「もち!」 ていうか律儀な子だな。ママが手伝ったからかな。ママに最初に言いたかったんだろう。 昨日月曜日、パパんちに送り出すときに、誕生日のケーキとてまり寿司一つ、パパにって持たせたんだけど、「ありがとう!」ってメッセージきたが…… 数学の点数のことはもちろん書かなかった… 息子がやっぱり自分のくちで言いたいだろうし! パパはなんていうかなあ。パパ側は数字と運動が苦手なひとばかり輩出したため(笑) 当然ですが、私側の家系です!(きっぱり)と言ってやるぜ(笑) 否定はすまい(笑) うれしい日!疲れもふっとんだ!
葛藤時代の支え
なんかずっと、共同養育賛美みたいな記事ばっかり書いてるので、偏っている。わかっています。でも長い息で書き続ける中で、当初の葛藤なんかもっとかけたらなあと思います。 最初からこんなに共同養育に対して肯定的だったわけではありません。最初っからこんなに元旦那さんと協力体制に入れていたわけでも絶対にありません。 離婚前の葛藤含めて、何年もかけて、三人で気づいて・築いてきた関係性の結果、この幸せな落としどころに収まったという感じです。わたしも元旦那さんも、周りもみなで、Kを中心に考えられる大人とはどんな人間なのか、どうしたらそうなれるのか、と成長していった感じです。 (とある大学の調査で、離婚家庭の子供も、親の関係が修復されて二年たつと、離婚のない家庭の子供と同じくらいと変わらないくらいにダメージがなくなるそうです。そのうちこの研究についても掘り下げて書けるといいですが。) 最初は自分の護衛とか相手への反抗で精いっぱいでした。子供の声とか姿はそこになかった。傷ついたKの姿は、私の目には入っていなかった。 この自分本位な態度を変えてくれた人たちが、居ます。 ひとつは、とある、本。ひとつは、私たちを支えてくれた、さまざまな組織。ひとつは、私たちを指導してくれた、プロのみなさん。ひとつは、私たちを支えてくれた、(経験ある)新しいパートナーたち。ひとつは、私たちを支えてくれた、友人たち。 離婚するまで発展した葛藤のさなかにいる人間ふたりが、養育を支えあえる共同親として成長するまでには、やはり友人でもプロでも、支えが必要ではないでしょうか。ひとりで人間は生きてはいけない。 そして、その支えって、選択肢があればあるほどいいと思うんですよね。 たとえばYoutubeでも、ひとつのトピックを検索すると(私はストレッチ運動でよく参考にさせていただくYoutuberさんが数人いらっしゃるのですが)、たくさんのYoutuberさんの選択肢がありますよね。みなさんそれぞれのキャラがあって、解説方法があって、視聴者さんは、自分にマッチした方をフォローされるわけですよね。 私はプロの心理療法士でも何でもないただの一介の親ですけれど、まずは自分のために自分の道筋を書き留める中で、だれかがここからたった一つでも、実践に踏み出すきっかけを手にしてくださったらいいと。あったらいいけれど、なくても、書きたかったことを書いたのでよい、と。 そういう時代なんだと思ったんです、だれかのお役に立てるのでも、立てなくても、書いていけばいい。 実はどう書き出していいかわからなかった葛藤時代のことだけど、この感謝から書き始めるのもひとつの手かなと思いました。少しずつ書きます。
仕事におけるメリット
現在はもう中学生なので、ほとんど手がかからない。シッターもいらないし、たいがいのことは一人でできる。歯医者にも矯正歯科にも自分で行くし、手伝えばだいたいのスケジュール管理もできる(離婚家庭の子たちは、自立が早いと思います。タイムマネジメントとか、スケジュールとか、ロジスティックとか、強くなりますね)。 でも、離婚当初は、Kはまだ小学校で、ひとりでは置けない年齢でした。 ラッキーなことに、現在の仕事場では大変フレキシブルにさせていただき、Kの居る週はパートタイムで。パパの家に行っている週は、フルタイムで就業させていただくことができました。しかも、朝早めの就業で、帰る時間も前に倒し、よりいっしょにいる時間を増やせました。当時は、補習校にも行っていたため、その宿題なんかにも一緒にいる時間がかなりのところ必要だったので。 こんなわがままさせていただき、ボスや、同僚たちに、感謝、感謝、感謝。 それと同時に、共同養育にも、感謝。 シンママも、シンパパも、共同体から脱したことによって、今までふたりでしょっていた荷物を、ひとりずつ背負わないといけないから。ときどき、その背負ってるものを交代できると、その分のエネルギーをほかにまわせる。 こうやって、子どもがいる週、いない週で、支え合えるわけですね。 こういう体制だったから、仕事「にも」子供「にも」打ち込むことができました。どちらかをあきらめる必要なんか、ない。いいえ、あきらめるどころか。二人とも離婚して共同体から離れた以上、「どちらも」やっていかなくてはならない。 パパのほうもしかりで、子供のいない週にはがっつり趣味/副業に没頭しているようでした。 で、あまり手のかからなくなった現在はというと、普通にパパ週もママ週も就業時間を同じに戻しました。 まとめ1.仕事と子供の両立にも共同養育は吉。2.共同体を離れても、いや、離れたからこそ、ふたりが子供のことでは支えあう。3.それは、お互いの幸せのために。そして、相手の幸せは、直接、子供の幸せだから。