継続はちからなりといえども。つい時間が空いてしまいました。体調が「悪い」ではないけど、なんだか不調でした。二回目のワクチン接種の影響だったのかと思います。長引きました。 二週間弱のお休みを経てまた仕事に復帰したんですけれど なんていうんですかね。ちょっとクサいんですけど、復帰して日々じわって感じるのが「感謝」なんです。 もちろん仕事は仕事なんで 楽しいことばっかじゃないですよ。でも、職場のひとたち、上司も、全員大好き、とか、淡々と仕事している最中が楽しい、とか、自分ができる言語全部が活きている、職場もわたしにこれだけたくさんのわがままを許してくれている、などなど。 もう、ありえないくらいラッキーだと思うんですよね。稀有。感謝。 それで今日も在宅勤務中で、報告書に没頭して集中しておりました。で、夏休みでのんびりした生活してる息子がもうすぐ起きてきて、ランチは麺類作ってーって甘えてくれました。家に居る時間今は長いから、家の中も庭も、植物でいっぱい。休憩は庭の咲き乱れてる花を見に行きます。目の保養(笑)。で、二日もじっくり集中すると、いろいろしっかりできあがるんだけど、頭が煮詰まった感があって、明日はこっぱやくから会社に行きます。会社で仕事をするのも、同僚がいて、それも楽しい。朝早く始めさせてもらっているので、午後は何かしら自分の時間もあるから、おうちタイムを満喫するほうが多いとはいえ、行く必要があれば、車でガーデンセンターにも行ける。また運転できるようになってよかった。自由だなあ。 ここは楽園か?(笑) (いや、ガーデンセンターじゃなくて) 収入はもちろん、離婚前より減るんだけど、幸福度がぐんとあがりました。さらには、自由度まで! 離婚前より労働時間は増えたのに、わがままを聞いていただいてこっぱやく始業するため、実は、自由時間も増えたかも。マジック? ありえないくらいラッキーですよね? 離婚は、その時は望んでいないことだったけれど、後で振り返ると、ほんとうにすごいプレゼントだったんだな、と思います。 いえいえ、離婚自体がプレゼントだったわけではなくて。離婚は、わたしにとって、鍵、みたいなものだったかな? 自分はこんなもんじゃないよ、もっと自分らしくなれる、もっと自由になれる、仕事もこれよりもっとできるはず、みたいなことを、自分の奥底が知っているんだけど、離婚がきっかけで、開ける。結婚してるときは、結婚にしがみついているところがあったから、決して開かない、扉だったのかもしれない。 また書きます。
Category: 離婚のこと
離婚自体についてもろもろ。
葛藤時の支え 組織編 大人編 1
しょうもないタイトルだなあ。まあしばらく許してください。 大人に関しては、悲しいことに、親の両方に改善の意思がなければ、どんなに政府が力添えをくれてもどうしようもないでしょう。大人なんだから、大人な対応をしようよ! 子供のために。 子供が受ける離婚の(葛藤の)長期的な影響を考えれば、くだらない葛藤はなるべく早く乗り越えて、お互いが隣同士に座って歓談さえできるくらいのレベルに持って行ったほうがいい。そう思います。が、人間ですからね…… ですが、大人は、子供たちが喧嘩しているときには、こういう感じで諭すでしょう。 さあ、もういいでしょう。仲直りなさいよ。さあ、さっきはごめん、って早くいっておしまいなさい。さあ、二人ともこっちにきて、おやつを半分こなさい。さあ、お互いの目をしっかり見て。 大人が喧嘩すると、やらないですよね。これ。子供にお説教なんてできない、目も当てられないレベル多くないですか。もう、顔も見たくない。もう、考えるだけでも嫌。私もそうでした。 子供の喧嘩のほうが、すぐに仲良くなって、いかに潔くて。なんとオトナなことか! 逆説的で笑えますが。 離婚自体にもインパクトはあるのですが、研究によれば、離婚後の両親のお互いに対する態度が、子供への長期的な影響を決定するそうです。お互いがリスペクトを持って接するようになってから、なんとたったの二年で、子供の身体的・精神的な健康度は、離婚のない両親の子供と、変わらないレベルに戻るそうです。なんというレジリアンス。素晴らしくないですか? この研究は、まだ自分で入手してないので、今度入手して読みたいと思っています。 子供たちへの影響、子供たちの苦悩を考えると、自分たちの苦々しい気持ちとか、もう超越できるはずです。その都度、歯を食いしばりながら。 そう思える両親であれば、サポートしてくれる組織がたくさんありました。 親のためのコミュニケーションの全12回の講習会もその一つでした。二人で参加しました。残念ながら、ここでも、一人の親が「もうやめる!」といった場合は仕方がなく、二人とも退場となりました。 講習で叩き込まれたのは、先に書いた、「子供のことを最初に考えて歯を食いしばる」能力でした。人間なんで、葛藤中なんで、ムカッときたりするのは当たり前。そういう気持ちをいかに自分の中で丸め込んでいけるか。 講習は夜19時からで、親が講習中、子供たちも、別の部屋でちょっとしたセッションを受けていました。両親の離婚と向き合うセッションばかりではなく、一緒にデザートを作るようなこともやっていました。 親たちのグループと、子供たちのグループとで、最終のセッションである、作品の発表会に向けて作りこんでいくような積み上げになっていました。 親の最終作品のテーマは、自分の子供(たち)に向けて、これからどうなっていくか、親としてどんな風に子供たちと生きていくのか、メッセージを送るという感じでした。 わたしは器用で絵も描けるので、紙芝居を作りました。ストーリーは、パパとママがマントをつけたスーパーヒーローで、Kが二人とも大好きで、Kのために、それぞれ活躍し、ちからを合わせて頑張っている、というもの。もう二人はパートナーではないけれど、Kが大好きでKを守るために頑張っているので、三人でチームなんだよ、というメッセージ性を持たせるために、三人の頭文字をとって、チーム名とし、また、このチーム名が、紙芝居のタイトルでもありました。ひとこま、ママヒーローが、Kが落ちそうになっている大きな穴に橋となり、踏まれて痛い!けどKが助かって嬉しい!という自虐シーンがあったんだけど、子供たちがゲラゲラ笑ってくれて、本望でした。 書きながら、いろいろなことを、思い出しています。
葛藤時の支え 組織編 子供編 1
適当なタイトルですが、情報量が多く、どう進めていいかわからないので。仮題です(笑) 離婚協議中、まだ葛藤が激しかったころのこと。 子供のためのサポート 自助グループ:Kは、離婚中・離婚後の両親を持つ子供たちの自助グループに行っていました。8回のセッションで、子供たちは10人ほどだったと思います。専門のセラピストが二人ついて、セッション中に扱った内容は、両親には内緒。という黄金の鉄則がありました。子供たちの世界を護るためです。子供たちの親への忠誠心は計り知れないほど強く、親とセッションの内容を共有することにリスクがあるようです。ひとつだけ覚えているのは、お迎えにいくと、Kはとても晴れ晴れとした顔をしてセッションから出てくることでした。内容は教えてくれないながらも、セラピストはKの様子は個人的に伝えてくれていました。Kは積極的にグループで「話したい」という欲求や、そのためのイニシアティブをとることはなく、もくもくと一人遊びに熱中しているように見える。が、周りの(積極的に話したい)子供たちが話している内容には、熱心に耳を傾けているようで、ふとした瞬間にぱっと顔をあげて、発言する。ということでした。どういうセッション内容だったかを直接知らなくても、Kが、同じような状況で頑張っている仲間たちと時間を共有できただけでも、大きなエンパワメントとなったことだと信じています。あの晴れ晴れとした顔が、それを物語っているはずです。 学校、先生:学校や担任のみなさんにも事情を親から話しておくことは、とても大切なことです。子供にやらせることでは、ないです。子供は、離婚のことを思うだけでも、大きなストレスなのに、それを、言葉で表現させるのは、かわいそう。お友達ひとりひとりまで親がコンタクトできるわけではないけれど、先生のレベルまでお伝えできていると、あとはとてもサポートをしてもらえます。実は、離婚協議中、まだ二人の間で葛藤が大きく、Kは学校でも、たくさんの問題行動を起こしていました。注意散漫。それで、集中していなくて、先生からお小言をいただく場合、最後のところしか聞いていなくて、怒られている文脈がわからなくて、かっとなって、教室、さらには学校を飛び出してしまうことが数回ありました。問題児です。汗を流しながら、Kはうちに帰ってきていませんか、と戸惑う先生を、何度も玄関でお迎えすることがあったのです。(当時私も健康を害していたので、仕事も休んでいました)その都度、申し訳ありませんと謝りながら、子供の学校での様子を大変注意してみていただき、ご連絡をいただくことができました。あの時のことを思い返すにつけ、 Kがどれだけの悲しみや怒りをひとりで抱え込んでいたのだろう。学校を飛び出して走りながら、彼はどういうことを考えていただんだろう。 考えるだけで、あの時のKを抱きしめてあげたくなります。ひとりにさせてしまった。ごめんね。K。 担任だけでなく、エスカレートして、コーディネーター(下級生、上級生で、まとめる役職があります)を通して、市から派遣で子供療法士も一緒にかかわってもらい、ものすごいサポートをいただいきました。 さらにもう一歩エスカレートした問題行動に走ったKです。内容は悲しいので書きません。これが中学生だったら、警察がきていたレベルとだけは書いておきます。 そのときも、子供を非行児扱いせず、学校、子供療法士、心理療法士、ソーシャルワーカー、ユースケア(日本語何ですか?)、などのインターディシプリナリーなチームでミーティングを持って下さり(もちろん両親も参加)、今後の方針を決めました。 そして、クラスのみんな。数日間のサスペンション(罰として、学校に来てはいけない期間)が終わりましたが、問題行動の衝撃の大きさに、もうまっすぐ顔をあげて学校の前さえ通れない。こんな気持ちのKでしたが、クラスから電話がかかってきたのです。クラスのみんなからです。「K。きいて。ぼくたちはKがほんとはどんな子かよく知っている。やったことはうまくなかったけど、ぼくたちは気にしないよ。Kがいないとさみしいよ。ぼくたちが待ってるから、早く学校にきてちょうだい。」Kは、涙を流してじっと聞いていました。翌日、勇気を出して登校したKです。学校でのことはあまり話してくれなかったけれど、きらきらした目で帰宅してきました。その顔を見れば、クラスのみんながどんなにKを温かく迎えてくれたのか、よくわかったので、それ以上は問わずに、ぎゅっと抱きしめました。担任の先生が、クラスの子供たちといっしょに、Kの起こした行動に関して、オープンなディスカッションをして、このような電話と手紙をすることに決めたようでした。 これらの恩を忘れるわけにはいきません。 どうやって返したらいいかはわからないけれど、だれかが以前いっていただいた言葉をいつも思い出します。「受けた恩は受けたひとに返すものではなく、回していくものです」
葛藤時代の支え
なんかずっと、共同養育賛美みたいな記事ばっかり書いてるので、偏っている。わかっています。でも長い息で書き続ける中で、当初の葛藤なんかもっとかけたらなあと思います。 最初からこんなに共同養育に対して肯定的だったわけではありません。最初っからこんなに元旦那さんと協力体制に入れていたわけでも絶対にありません。 離婚前の葛藤含めて、何年もかけて、三人で気づいて・築いてきた関係性の結果、この幸せな落としどころに収まったという感じです。わたしも元旦那さんも、周りもみなで、Kを中心に考えられる大人とはどんな人間なのか、どうしたらそうなれるのか、と成長していった感じです。 (とある大学の調査で、離婚家庭の子供も、親の関係が修復されて二年たつと、離婚のない家庭の子供と同じくらいと変わらないくらいにダメージがなくなるそうです。そのうちこの研究についても掘り下げて書けるといいですが。) 最初は自分の護衛とか相手への反抗で精いっぱいでした。子供の声とか姿はそこになかった。傷ついたKの姿は、私の目には入っていなかった。 この自分本位な態度を変えてくれた人たちが、居ます。 ひとつは、とある、本。ひとつは、私たちを支えてくれた、さまざまな組織。ひとつは、私たちを指導してくれた、プロのみなさん。ひとつは、私たちを支えてくれた、(経験ある)新しいパートナーたち。ひとつは、私たちを支えてくれた、友人たち。 離婚するまで発展した葛藤のさなかにいる人間ふたりが、養育を支えあえる共同親として成長するまでには、やはり友人でもプロでも、支えが必要ではないでしょうか。ひとりで人間は生きてはいけない。 そして、その支えって、選択肢があればあるほどいいと思うんですよね。 たとえばYoutubeでも、ひとつのトピックを検索すると(私はストレッチ運動でよく参考にさせていただくYoutuberさんが数人いらっしゃるのですが)、たくさんのYoutuberさんの選択肢がありますよね。みなさんそれぞれのキャラがあって、解説方法があって、視聴者さんは、自分にマッチした方をフォローされるわけですよね。 私はプロの心理療法士でも何でもないただの一介の親ですけれど、まずは自分のために自分の道筋を書き留める中で、だれかがここからたった一つでも、実践に踏み出すきっかけを手にしてくださったらいいと。あったらいいけれど、なくても、書きたかったことを書いたのでよい、と。 そういう時代なんだと思ったんです、だれかのお役に立てるのでも、立てなくても、書いていけばいい。 実はどう書き出していいかわからなかった葛藤時代のことだけど、この感謝から書き始めるのもひとつの手かなと思いました。少しずつ書きます。
子供の忠誠心は両方の親に
また苦手な領域:過去から書きます。 子供のDNAは父と母の両方から成り立っていて、それがやはりきっと生物学的にも焼き付いているのかな?子供は父にも母にもものすごい忠誠心を持っていますよね。 離婚の協議中、別居してしばらく経ったころのことを思い出したので書きます。パパもママも掃除は適当なほうなんですが(離婚後は、どちらもきれい好きになったようです)、ふとした瞬間に言ったんですよね。悪気はなくて、彼そのころものすごい忙しかったので、単に軽く心配、かつ軽く冗談、みたいなノリだったのですが。 「パパんちはちゃんと掃除できてるかな。ホコリだらけになってない?」 そしたら、なんと、息子は大粒の涙をポタポタと落としながら怒り出しましてね。 「パパだってちゃんとできるもん!パパだってお掃除もお料理もできるもん!ちゃんとやってるもん!」 息子、当時八歳。小さいからだをぷるぷる震わせながら、胸を広げて体を大きくして、仮想でそこにいるパパを護るようにして立ちはだかっているのでした。 すぐに抱きしめながら、ごめんなさいを言いました。 パパを攻撃されたように感じたんでしょうね。かわいそうに。自分が代弁し、護る必要を感じたのか。 それから私は、元旦那さんに関する言及をすべてプラスのものに修正するようにしました。そのきっかけは、この一件だったと思います。 あのときの息子の悲しみとか怒り、二人ともが大好きなその気持ち。この事件を思い出すたびに、怒涛のように押し寄せてきますね。息子自身はもう忘れてるかなあ。今度聞いてみよう。 まとめ1.子供はふたりとも大好き2.だから相手のことは批判しない
親としての関係をクリーンに保つこと
あれは、修行の日々でありました。それだけは、はっきり覚えています。 共同「親」としての関係性を、前パートナー「だった」ときの痛み、ゴミ、ガラクタ、イライラ、いやだったこと、コンチキショー、などなどの感情から、クリーンにする作業。 この辺りは、早く書いてしまわないとならない項目に入ります。少しずつ書き足します。最初はいまいち伝わらない書き方かもしれませんが、少しずつ精進して伝えられるようになりたいと思うのでお許しください。 何しろ私は脳科学が関係する書籍が好きなこともあり、「過去も書き換えられる。未来も書き換えられる。」という信条なんです。離婚後、がんがん書き換えてしまっているので、急がないと。 1.生きてるだけでもうけもん 何があってもなくてもそのままで幸せになる。私は寄付するときはUNHCRにするんですが、命と住むところがあればそれだけでもうけもん。という感謝の気持ちをリフレッシュしたいときに寄付します。生きてて屋根があれば、ありがたいことに、豊かな国に住んでいるので、なんとかなる。それで、どんなクレージーな変人な母親でも、子供にとっては、絶対に生きていたほうがいい。あたりまえのことだけど、ときどき、いろいろあると、やけくそになって、自暴自棄になって忘れませんか。私は、よく、忘れました。自分を大切に。 2.相手は相手。 相手もひとりの親。週末だけのパパだとしても。うちはがっつり親権半分の親やってくれていますが。ここはもう、がっつりとまかせましょう。細かいことが気になったとしても。目をつぶって、任せる。だってもう、相手の親のやり方はもう変えられないです。週末何時に風呂入れてるのとか、食事偏ってないか、とか、あの映画みせちゃだめ!とか、そんな細かいところより、お互いの信頼関係を築くことにちからを入れましょう。って簡単そうにいうなあ…… 3.自分がまず幸せになる。 子供は、お父さんやお母さんのこころの状態を完璧に曇りなくミラーリングします。こわいですねー。なにがあっても自分のいい気分を乱されない強さを身に着ける。さらさらテフロン加工。鉄壁のごきげんさん。これがホンモノになっていくことで、子供も確実にこれをミラーリングします。ほんと簡単そうにいうよなあ…